全共闘

全共闘 団塊世代★メタモルフォーゼ

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1960年代末の一連の学生運動は
全共闘運動と総称される。
全国の300以上の主要大学が
次々と学生闘争に突入し、
戦後最大規模の学生闘争であった。
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全学共闘会議は、
1968年(昭和43年)ごろの日本各地の大学に作られた
学生運動組織であり通常は「全共闘」と呼ばれる。

本来、大学の学生自治会は
全国連合組織として「全学連」を形成しており、
代議員制をとっていたのだが、
それら組織の中枢が次第に政治的集団に支配されていくようになり、

これを嫌うノンセクト・ラジカルな学生たちが
直接民主主義を要求して作り上げたのが「全共闘」である。
全共闘は個別の問題に対して、
個人が自発的に参加する大衆組織であった。

それによって起こされた1960年代末の一連の学生運動は
全共闘運動と総称される。
全国の300以上の主要大学が学生闘争に突入しており、
戦後最大規模の学生闘争であった。

全共闘運動は、日本大学と東京大学に代表される。
日大では、1968年5月27日、
20億円の使途不明金問題を端緒にして、
大学当局の権威主義的な弾圧に抗議した学生が
「日大全共闘」を結成。

東大では、医学部インターン問題をめぐる
学生への不当処分に対する抗議行動の後
7月5日に「東大全共闘」が結成され、
大学内の建物をバリケード封鎖し、
大学当局との「大衆団交」を要求した。

日大も、同じく大学内の建物をバリケード封鎖し、
学生による当局との「大衆団交」を行った。

全共闘運動は、
はじめは各大学個別の組織・運動体として結成されたが、
まもなく中核派や社学同など
新左翼の8つのセクトの連合体へと姿を変える。

その後各セクトが運動の主導権をめぐって
対立するようになったため、
自発的に参加していた一般学生は離れ始め、

次第にセクト色を強めていく運動は先鋭化して
政治・国家の体制全体を否定するようになっていく。

そしてその後、大学解体を打ち出し、
大学を超えた日本帝国主義体制の打倒を目指す
革命運動へと変わっていった。

1969年1月18日・19日、
「時計台封鎖を全学バリケード・ストライキの突破口とせよ!」
「国家権力と対決せよ!」
との号令により始まった安田講堂攻防戦は
そうした革命闘争の象徴となり、
全共闘運動は全国の大学に波及する。

1969年9月5日、日比谷野外音楽堂に
全国200を越える全共闘組織が終結、
「全国全共闘連合」が結成される。
議長は東大全共闘の山本義隆、
副議長は日大全共闘の秋田明大。

このころからセクト間の対立は憎悪をはらんで深まってゆき、
「内ゲバ」と言われる武闘が繰り広げられ、
死者まででるようになっていった。

その後、学生運動はさらに過激な革命運動に姿を変え、
赤軍派によるよど号ハイジャック事件や
連合赤軍によるリンチ事件、
浅間山荘事件などの過激な運動によって、
大衆の批判を浴び、
全共闘は事実上崩壊した。

ただ、こうした全共闘の奔流のなかに、
最後まで殉じていった学生はほんの一握りであって、
団塊世代の大多数はいわゆるノンポリの
しかもラジカルでない分子であった。

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